1847年、ドイツ南部のギーンゲンに生まれたマルガレーテ・シュタイフは1歳半で小児麻痺にかかり、右手と両足の自由を奪われ生涯車椅子の生活をしていた。彼女は、叔父の織物工場の残り物のフエルトを使い当時、流行していたフェルトのおもちゃを作り、姉妹とともに製品の販売店を営みました。
1880年、義理の妹へプレゼントしようと、雑誌に掲載されていた象のイラストを元にフェルトで針刺しを作ったのが近所で評判となり、販売するようになった。
5年後にはその売れ行きは5000個を生産するまでに伸び、ロバ、ブタ、ウマなど様々なぬいぐるみを作るようになった。
シュタイフのクマのぬいぐるみは1892年に出来ていた。後ろ足で立つか4つ足で立つフォルムのベアで鉄の台車の付いたものはその後発表される。 この初期のベアに手足の動くジョイントのシステムが考え出された。
1902年、マルガレーテの甥で、シュタイフ社の社員でもあったリヒャルト・シュタイフが、自らがスケッチした熊のデッサンの商品化をマルガレーテに提案したのがきっかけ。
そのクマには、手足にジョイントをつけ、肌触りの良いモヘア素材を使用した。この時の最初のジョイントのあるベアはBär 55 PB。 この55と言う数字は大きさが55㎝だったからで『P』はPlushのP、『B』はbeweglich(ジョイントされた)の意味。このベアは本当のクマに良く似てた。そして、腕、脚は糸でジョイントされてた。(糸ジョイント) このベアは、1903年にライプチヒのTrade Fairで紹介されたものの注目されなかった。 しかし、その年のあとで、アメリカ人バイヤーHermann Bergから3,000体を注文を受けた。これがシュタイフの世界的ブームのきっかけとなった。
リヒャルト・シュタイフもマルガレーテも55PBに満足できず、リヒャルトはデザイン向上の為に手直しをした。 1904年に、彼は、より小さい35PBベアを作った。そして、腕、脚は強いひもで付けらたが、手足はすぐに緩むので、ワイヤをねじり、鉄の棒で繋いだ。近年、オークションなどに出品される時、この金属ジョイントを確認する為にレントゲン写真を添えてある場合がある。 1905年に、ディスクジョイントを導入した。 頭と手足は、段ボールのディスクと金属ピン。これは今も使われている方法。また、模倣ベアとの差別化を図る為、シュタイフ製品のトレードマークにもなっている「ボタン・イン・イヤー」(耳のボタン)を商標登録。
シュタイフはこのBär 55 PBベア以降、有名なベアを数々作ってきました。名前の付いているベアは概ね人気のベアと言うことが出来る。当時のものを見る機会が少なくても、1980年以降レプリカが作られているのでどんなベアかは知る事ができる。
- Hot Water Bottle Bear (1907):湯たんぽベア --50㎝の大きさでお腹にお湯を入れる円筒形のボトルが入っていてお腹の紐をフックに通して閉じる作りで90体作られた。
- Muzzle Bears (1908-17): マズルベア --革の口輪を付けたベア。白、ライトブラウン、ダークブラウンのものが作られた。
- Alfonzo (1908):ロシア大公が娘ゼニア王女の為にオーダーした赤いモヘヤのオレンジのコサックを着たベア。悲劇のストーリーを持ったベアは、特に人気。
- Pantom Bear (1910-18):あやつり紐のベア 6本の紐が付いているダークブラウンのベアで35㎝と40㎝のサイズで6000体作られた。
- Mourning Bear (1912): 黒いベア 1912年4月14日に沈没したタイタニックの喪に服したベア。2000年12月クリスティーズのオークションでエクセレント状態のベアが£80,000で落札された。(支払いは、落札金額に加え手数料要)
- Teddy Happy (1926-1927):チップドモヘヤのベアで22㎝-115㎝まで11サイズが作られた。1989年サザビーズのオークションで£55,000で落札され(支払いは、落札金額に加え手数料要)、当時オークションで購入されたテディベアで最も高価だったのでギネスブックでに公式に認められた。 落札者のVolppさんが奥さんのRosemaryさんに結婚記念日のプレゼントとした事で彼女がI'm HAPPY! って言った事から名前がHappyと名づけられ以降、このタイプのチップドモヘヤのベアはHappyと呼ばれている。
- Teddy Clown (1926-30): フエルトのとんがり帽子と襟の飾りのあるベア。帽子にポンポンの飾りが有り襟の飾りの端と同じ色。この時代の特徴でもあるやや大き目のグラスアイが使われている。赤、青、黄、緑などポンポンの色がいろいろあり、サイズも22cm-115㎝まで11サイズ作られた。
- Patsy (1928-30):チップドモヘヤで茶色の目のベアの他に青い目のPatsyが居る。サイズも22cm-75㎝まで10サイズ作られスタンダードな形から車に乗ったPatsy、ミュージカルPasty、パースなどデザインの展開もあった。
- Teddy Baby (1929-50):口を開けて笑っているデザインのベアで(小さいサイズのものは口を閉じている)51cmまで12サイズ作られた。ダークブラウン、クリーム色のモヘヤで白いモヘヤのベアも居た。 レプリカは1985年に製作された。
- Dicky Bear (1930-36):笑ってるようなキャラクターの強いベアで足に肉球のペイントがある。白、ブロンド、ゴールド色が作られた茶色の Dickyは 1935-1941に作られた。.
- Zotty (1951-):オープンマウスのベアで主にキャラメル色(x白)のチップドモヘヤで出来ていて胸にピーチ色のツキノワグマの様な切替がある。 同系統の顔のベアで寝ている姿のSleepingや or Floppy Zotty(目を閉じ、目はフエルトと糸で閉じてる感じに作っている)がいる。
- Jakie (1953):1953年シュタイフが最初にテディベアを作って50年目の記念ベア 。型紙も他のベアと違うので良く見る特別が付くが、鼻の刺繍にピンクの刺繍糸で横に1本ステッチがあるのと丸いお腹にエアブラシで描かれたお臍があるので一目で区別が付く。17cm, 25cm, 35cm とディズプレイ用に 75cmのベアが作られた。
- センターシーム :名前の付いたベアの他にセンターシームのテディベアと呼ばれているベアが居る。文字通り真ん中にある縫い目。モヘヤを裁断する際、鼻からおでこにかけての部分を6枚カットすると微妙に残る。その残りモヘヤをはぎ合わせ7枚目を作った。そして7番目のモヘヤを使った頭は、鼻の中心にはぎ目のあるベアを作りました。最初は、モヘヤが勿体無いと言う節約の心から試みられたのでしょうけど、それ程大きくないベアまでこのセンターシームが作られています。しかし、小さいサイズのベアのおでこは、半分にするとそれ程大きなサイズではない事から、このはぎ目は独特の表情を与えることになり、甘い印象の顔に仕上がっている事が多い気がする。私は密かに、職人さん達の楽しみだったのかもしれないと想像してしまう。目的はいずれにせよ12体に1体しか出来ない計算になるので数も少ない。今ではセンターシームと呼ばれ収集価値の高いベアになった。中でも、シューボタン(ブーツボタン)の目のベアで第一次世界大戦前のシナモン色と白のベアは数が少ないのでその色のセンターシームはなお珍しいとされている。
シュタイフの耳のタグ・胸のタグ (第二次世界大戦以前) |
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