歴史
年号 |
できごと |
1858 |
Eduard Crämerは洋服屋の息子として生まれる。
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1885 |
Eduard は、ドイツのゾンネベルグSonnebergにある義理の父のPaul Schwabacher のおもちゃ工場を継ぐ。 |
1896 |
Eduard Crämeによって会社設立。 |
1901 |
Hermann Crämer (Eduardの息子) が会社に加わる。 |
1906 |
輸出用に6000体以上のテディベアの注文を受け工場建設へ。 |
1915 |
EDUCAのドレードマークを制定。 |
1920 |
合資会社をEduardとHermann Crämer、Eduardの養子Walter Macheleidt、Heinrich Löhrと設立。 |
1945 |
Eduard Crämer 死亡 |
1952 |
Hermann Crämerが退社しHans LöhrとErich Schubertへ貸した。 |
近年 |
Schildkröt-Puppen GmbH へ既存のクレーマー製品を製造、以前のクレーマー製品のレプリカを製作の許諾契約--以降、レプリカが発売される |
テディベアと言えばドイツ。ドイツと言えば…シュタイフ・シュコ・ビング・ハーマン…って会社名が出てくるでしょうけど、第2次世界大戦前までドイツのゾンネベルグと言う町はぬいぐるみ製造の中心地でした。町と周辺の村々は人形やフラシ天、コンクリ紙などを製造し互いに需要を満たしあう入り組んだ零細企業の町でした。
長い間、コレクターに人気が有るがメーカーがわからないという状態でしたが、ジャーマントレードマガジン誌の1927年の広告に1896年チューリンゲンのシャルカウで設立され…云々と記載があったのが見つかった。ハート型をした顔と開いた口1930年代の広告に始めて登場した。エドゥアルドクレーマーは、仕立て屋としての教育を受け仕立て屋を営みながらぬいぐるみのデザインも手がけました。最初の創作は象でした。彼はテディベアも沢山デザインしました。機械仕掛けのベアや頭を前後に動かすことで音楽を奏でるミュージカルベアやクラウンベア、とても良く知られているのは、F.A.O.シュワルツの為に1930年製作したBearkinベアキンズ(このシリーズは20cm8インチ)で洋服の入ったスーツケースが付いていた。フエルトのジャケットズボンを着せ替えられる。たとえば、「スコッチBearkin」の場合、チェックのキャップ、ベルベット上着、キルト、スポーラン、および赤い革靴を履いてました。
<<目立つ特徴>>
タグやラベル、ボタンなどの会社を特定するIDを付けていません。販売時に胸に逆三角形の紙タグを付けてた程度です。その紙タグには、1920年代は"Eduard Crämer" か "E/C"と書いてあり、その後、猿の顔のイラストに"Educa"と書いてある紙タグ、それから1930年代に"Educa, Made in Germany"と書いてあるタグが付いていたようです。そのタグを付けたままのベアは至って稀です。
鼻先(マズル)が目の下辺りからハート型の形に切替がある。その鼻先は、刈り込まれた短い毛足のモヘヤや別の色のモヘヤになっている場合がある。
口は、オープンマウスでフエルトの舌があるか閉じている口のベアもある。閉じている口のベアの場合、唇様(舌?)に赤い糸でボタンホール刺繍されているベアがいる。
足は、テディベィビーのような足の物と従来のテディベア同様の足の物があるが、比較的大きいめで太めの足。